デュアリ(Duali)
後藤英
Suguru Goto (Artistic Direction, Concept, Music, Programming, BodySuit Development)
Shu Okuno (BodySuit II Performance, Choreography, Dance)
Chiharu Otake (BodySuit I Performance, Dance)
Special Thanks to TranSonic Festival, Center for Art and Technology, TNUA
メディア
モーション・キャプチャー・システム(ボディスーツ1とボディースーツ2)、インターアクティブ・ビデオ、サウンド
イントロダクション
この作品は、ニュー・メディア・アート、ダンス、音楽、映像、パフォーマンスなどの分野に渡る、しかしいずれのジャンルにも属さないスタイルに基づいている。身体の動きを認識するモーション・キャプチャー・システムとそれに関係する無線シンテムやプログラミングなどは独自に開発された。それを用いて人間とマシンの関係における可能性の拡張が探求が行われている。このパフォーマンスでは、特にボディースーツによってステージ上でリアルタイムに変化する映像とパフォーマーの身体、映像と建築/照明などにおけるインターアクションが追求された。
解説
この作品は二元論の思想にアイデアを得ている。両者のいずれかが優劣または劣等であることを提示するのではなく、むしろその相異なる両者は相互作用し、さらにそれによって新たな次元を導き出すことが目的である。例えば、ステージ上では二人の対比するかのように見えるダンサーによって繰り広げられ、さらに映像と身体のインターアクションが表現される。
ここでの二元論とは「精神 - 身体」または「精神 - 二元的物質」などのように説明することができる。ステージ上のパフォーマンスでは、空間 - 建築 / 時間 - 身体 のようにさらに発展させられ表現されている。ダンサーは男性 - 女性 / 人間 - 機械から成り立ち、このように相反していていながらも共存している考え方を示している。さらに映像は白黒のみから成り立ち、舞台上のパフォーマンスは拡張された身体 – 仮想空間、音楽は音響 – 騒音 / 表現 – 抽象性、コレオグラフィーは論理性 – 知覚 / 身体 – マシンを意味している。この二元論の考えをさらに抽象的な思想における東洋とヨーロッパの間における地理的、文化的な混合に関係する考えへと繋げることもできる。
二元論 『ウィキペディア』より
二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている。
西洋など
心の哲学における二元論は、まったく異なる種類のものとして認識される、心(精神)と物質の関係についての見方を示すものである。このような二元論はしばしば心身二元論とも呼ばれる。これと対照をなすものとして、心も物質も根本的には同じ種類のものだとする一元論がある。
歴史的に最も有名な二元論としてデカルトの実体二元論がある。この時代の二元論は、法則に支配された機械論的な存在である物質と、思推実体や霊魂などと呼ばれる能動性をもつ(つまり自由意志の担い手となりうる)なにものかを対置した。
現代の心の哲学の分野における二元論はデカルトの時代のものとは大きく変化しており、物理的なものと対置させるものとして、主観的な意識的体験(現象意識やクオリア)を考える。その上で性質二元論または中立一元論的な立場から議論を展開する。こうした立場の議論で有名なものとして例えば、デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論、コリン・マッギンの新神秘主義などがある。
東洋
古代インド
サーンキャ学派は、人間に内在するアートマンの超越性を強調し、精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティを抽出し、体系的な二元論を構築した。その体系は、普遍のプルシャと結合したプラクリティから、統覚機能、自我意識、思考器官、10器官、5微細元素、5粗大元素へと分かれる、25原理の図式を備えている。これを今述べた順に降下する方向で理解すると宇宙論となる。反対に上る方向で辿ると、ヨーガの深化に対応する、人間存在が備えている重層的な主観/客観の二元論構造を示すことになる。つまり、精神/外界、思考/対象、自我意識/表象、意識/無意識、自我/非自我といった二元論の広いテーマを内包している。さらに究極の二元はプルシャの解脱のために結合し、世界を開展するとされる。目的論的に結合する。この二元は、さらに高次の存在により統合される一元論を内に孕んでいる。
陰陽思想
中国を中心に発達した陰陽思想では、世界は陰と陽の二つの要素から成り立っていると考える。具体的には光と闇、昼と夜、男と女、剛と柔などにそれぞれ陽と陰の属性が対応すると考えられた。この場合二つは必ずしも対立することを意味せず、むしろ調和するもの、調和すべきものと捉える。そして、一元化はしない。そういう点では善悪二元論に陥りがちな一神教の究極的には一元化するものと意味づけられた二元論と、大きく違っている。
道教(タオイズム)老子は相待を説く。例えば、美は醜があるから、相反するものと比較するから、美しいのであるとする相対である。相互いに待っているとする。男と女のようなものでの二元論だ。善も悪があるからである。比較しながらも必要とする二つのものだ。
ジェスチャー・コントローラー「ボディースーツ」の詳細な解説
「ボディースーツ」は自らのパフォーマンスに用いることを想定された独自に開発されたモーション・キャプチャーであり、システムの名前である。12個のセンサーが身体の至る所の関節、例えば両腕の手首、肘、肩、両足の足首、膝、もものつけねに付けられている。曲げセンサーは腕の外側と足の前方に取り付けられている。さらにジャイロセンサーと加速度センサーから成るIMUモジュールが用いられている。それらがArduinoと繋がれており、無線によってコンピューターに送信される。最終的に信号はOSCでサウンドと映像を合成するために複数のコンピューターに分けられたMax/MSP/JitterとProcessingに送られる。身振りは伝統的なコントローラーや楽器を演奏する方法に基づく必要はなく、マイムのような比較的大きな身体のように自由化されることになる。これによりダンサーや俳優のように異なる分野と容易にコラボレーションが可能となる。聴衆は、コントローラーのような指だけの動作とは異なり、この比較的大きな身振りを容易に認識することができる。つまりパフォーマンスやミュージック・シアターなどの状況に上手く適用することができる。手に持つ物理的コントローラーや楽器とは異なるため、作品における「拡張された身体」の抽象的なアイデと共にパフォーマンスを発展させることができる。つまり身体は電気信号にによって増幅され遠隔操作を可能とし、抽象的な身振りがこれによって意味のある動作へと変遷させることができる。
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